前回(第57話)、ご紹介した東海林太郎音楽館。
館内には、東海林太郎さんの生家(秋田市千秋矢留町)から移築した「実物の玄関」があります。
さて、玄関を開けると、迎えてくれるのは…昭和の大横綱「大鵬(故納谷幸喜氏)」(1940~2013年)の姿が…
ここ「東海林太郎音楽館」にはもう一つ、大鵬関の資料館「大鵬ギャラリー」が併設されているんです。
昭和の2大スターの「不思議な縁」。それをつないだのが老舗和菓子の「榮太楼(えいたろう)」さんです。
東海林太郎さんと榮太楼社長・小国輝也さんの祖母は幼なじみ。また、小国さんの姉、芳子さんは大鵬夫人。大鵬関は秋田巡業の際に、榮太楼さんが経営していた旅館に宿泊。そこで芳子さんを見初めたといいます。
「大鵬ギャラリー」は2006年にオープン(東海林太郎音楽館は2005年)。旅館に飾られていたゆかりの品が集められています。大鵬関の化粧まわし、大きな手形、さらに芳子さんとの結婚当初の写真などのほか、秋田巡業の際に旅館に泊まった当時の貴花田関(現貴乃花親方)ら人気力士の手形がずらり。
大鵬関は昭和後期を代表する偉大な横綱です。私も大好きでした。
優勝回数32回、そのうち全勝優勝8回。まさに日本の高度経済成長時代の象徴。当時、昭和の少年たちの好きなものとして「巨人 大鵬 卵焼き」という言葉もあったんですよ。
それに対して、大人の好きなものとして「大洋 柏戸 トリスの水割り」というのもありました。まぁ、余談ですが…
さて
「ロシアのウクライナ侵攻」が連日のように新聞などでトップで報じられ、ウクライナという国に関心が集まっています。
大鵬関は、父親がウクライナ人で母親が日本人ということが知られています。
日本領だった南樺太の敷香(しすか)(現ポロナイスク市)で出生。でも、旧ソ連の民族政策で父は移住させられ、さらに日本の敗戦によって母子のみで北海道へ引き揚げることになったんです。
ソ連崩壊後に詳しい経緯が明らかになり、大鵬関は2011年にウクライナの友好勲章を受けました。ハルキウ、オデーサにも大鵬の銅像がある、といいます。今は戦場になってしまいました。
また、大鵬関の生誕地、ロシア極東サハリン州ポロナイスク市(旧樺太・敷香)にもその功績をたたえる銅像があります。ロシアで日本人の銅像が建つのは異例で、同市と秋田県の彫刻家らの尽力で2014年、建立されました。秋田で制作された、この大鵬像は日本を望むよう南向きに建てられています。
ロシアとウクライナの両方につながりを持つ大鵬関。今年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻を始め、すでに3ヵ月たちましたが、戦火はおさまらないままです。たくさんの犠牲者が出ています。大鵬関は天上で、この戦争をどんな思いでみつめているのでしょうか…
最近、明るいニュースも目にしました。
大鵬関の孫で前頭14枚目の王鵬関に先ごろ、秋田県内の有志らでつくる「大鵬の孫を応援する会」(石井資就(ただなり)会長)から、なまはげをあしらった化粧まわしが贈られたんです。
王鵬関は大嶽部屋所属で、約190センチの身長を生かした押し相撲が得意。今場所は残念ながら負け越してしまいましたが、来場所こそ自力を出して勝ち上がってほしい、と思います。
王鵬関は4兄弟。王鵬関のほか、2人が同部屋に所属しています。生き生きと前に進む大鵬の孫さんたち。きっと大鵬さん、目を細めて彼らの活躍を見守っているだろうなぁ。
私も精いっぱいの声援を送っていきたいと思います。
※最後に… 先日、CNAの番組「俺たちのぶらぶら散歩道」で、「東海林太郎音楽館」「大鵬ギャラリー」を訪ねました。よかったら、ご覧ください。