「ギャラリーのある病院」として市民に親しまれている秋田赤十字病院(秋田市上北手)。1998(平成10)年7月、同市中通から現在地に移転新築されましたが、以来、地域の医療機関と連携を図りながら、「県民の命を守る最後のとりで」の役割を担ってきました。
移転新築されたとき、新病院のコンセプトは「病院らしく、病院らしくなく」。何だか、「矛盾」するような言葉…どんな意味が込められていたんでしょうか。
「『病院らしく』」は最先端の医療、安全安心の医療を提供すること。もう一つの『病院らしくなく』は従来の暗いイメージを払拭し、普段の日常の連続のような病院、例えば街中を散歩するように自然に入ることができて過ごしやすい病院。そうありたいという思いでした」
そう語るのは、同病院名誉院長で現在は介護老人保健施設「山盛苑」施設長の宮下正弘さん。宮下さんは病院移転という大事業が行われた当時の病院長でした。現在は、秋田市文化団体連盟会長という肩書も。
「スタッフみんなで新時代の病院の姿を求めてきましたが、この中で『病院にギャラリーを』という考え方が出てきたんです。患者さんの癒やしの環境づくり。この中で、県内の芸術文化関係などたくさんの人たちとの交流がありました」
新築時から病室や待合ホール、廊下に県内作家らが県芸術文化協会などを通じて寄贈した洋画や日本画、水彩画、写真、陶芸など約450点を常設展示。「患者らがほっとするような空間の演出」が宮下さんたちの目指す「新しい病院の形」がそこにありました。
これまでの寄贈総数は千点以上にも上ります。病院ボランティアが定期的に作品を入れ替え、病室の絵は入院患者の要望があれば随時交換。新病院1階のロビーでコンサートを定期開催することも『新病院』計画に盛り込まれました。
新病院の取り組みは当時、全国でも先駆的なものでした。2014(平成26)年、美術や音楽を積極的に取り入れている医療施設を表彰する「第1回癒しと安らぎの環境賞」(審査委員長・日野原重明聖路加国際病院理事長)で、病院部門最優秀賞に秋田赤十字病院が選ばれています。
宮下さんは医師、院長としての仕事の傍ら、自ら水彩画を描いてきました。
「子供のころ、絵が好きでした。でも中学生くらいまででやめてしまった。再び始めたのはだいぶ時がたってからです」
再開のきっかけは30年前。「あすの秋田を創る生活運動協会」(後に「あすの秋田を創る協会」)の中国研修団に救護班として参加した際、奥様から「せっかくだからスケッチでもしてきたら」と言われたことから、といいます。さらに、秋田赤十字病院が秋田市の中通から上北手に移転する1998年には、病院職員から「新病院の建設過程を絵で残してほしい」と提案され、30枚ほどを創作。
「絵を描く楽しさをあらためて感じました。今は、国内外で出張や旅行をするたび、時間を見つけてスケッチしています。写真ではうつし取れないものが絵にはある。心に響いた部分や物を目に焼き付けて描くところに面白さがある」
「全くの我流」という宮下さんが描くのは水彩画。「油絵だと少し大がかり過ぎるかな。心が動いた瞬間にさっとスケッチする。時間があればその場で色を少しのせることができるし、時間がなければ後でもいい。そんな自然体で、軽やかな感じが水彩画にはありますね」
2017年、大小の作品約2千点から158点を選んで画集「いぶき」(横A4判、147ページ)を出版。表紙の絵「雪の朝の朝礼」(1997年冬)は、移転新築中だった新病院の建設現場が題材。雪が降る中で、数多くの作業員たちが屋外の朝礼に参加している光景です。
「そのころ月に1回、工事の様子を報告してもらっていたんです。その中の1枚の写真、現場での朝礼のシーンが心に残った。私はそれまで病院建築の進捗状況ばかり気にしていました。しかし、この冬場に、現場ではたくさんの人たちが懸命に建設に当たってくれている、そのことに思い当たり、ガーンと頭をたたかれたような衝撃を受けました。自省の念を込めて絵にしたものです」。
愛用の「携帯・水彩用パレット」。使い込まれた感じがいいですね。このミニパレット、そして小ぶりのA5サイズのスケッチブック。やりがいのある仕事をこなしながら、一方で素敵な水彩画を描く宮下さん。「リアル二刀流」か、と思いつつ、聞くところによればハーモニカや園芸にかけても「プロ級」とか…すごいなぁ。
「私も負けずに」とは到底言えませんが、シニアの1人として宮下さんのような生き方を目指したい、と思います。「千里の道も一歩から」という言葉もありますから。しかし、「千里」、約4000キロはさすがに遠い…一瞬で千里を掛ける「千里の馬」があればいいのに…