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【し~なチャン便り 第51話】まちなかフカボリ~千秋公園編⑤ 胡月池そばの「動物園」

秋田市浜田のあきぎんオモリンの森(大森山動物園)で、冬季の特別営業「雪の動物園」が行われています。

雪を踏みしめて勇壮に闊歩(かっぽ)するアムールトラやユキヒョウ、「湯っこ(温泉)」につかって至福の表情を浮かべるカピバラなどが人気だそうです。結構、雪に強い動物っているんですね。

土日祝日だけの営業ですが、親子連れでにぎわっているようです。動物園って癒されますから。

秋田市で動物園といえば「大森山」。でも、千秋公園にもかつて動物園があったんですよ。知ってますか?

発足は1950(昭和25)年。千秋公園に「秋田県児童会館付属動物園」として誕生しました。同公園二の丸にある胡月池と彌高神社に挟まれたあたり。これを知っている人は間違いなく、昭和30年代の「同志」です。

53(昭和28)年に県から市に移管され、「秋田市児童動物園」という名前になりました。当時の飼育動物は獣類では「クマ、シカ、ニホンザル、キツネ、タヌキ、ロバ、リス」など、鳥類では「ガチョウ、シチメンチョウ、サギ、ウズラ、オウム」など合わせて40種120頭ほど。

開園当初は動物の収集も難航したようで、多くからは県民からの寄付動物だったとか。ただ、「クマやシカ、ニホンザル」を提供した人がいたんですかね?どんな人かな、すごいなぁ。

市に移管してからは少しずつ動物が増え、園内には「おサルの電車」が設けられ、「一周45m」の小旅行は子供たちの一番人気でした。昭和31年にはライオンが導入され、スターとなります。同じころ、アシカも加わって、その「ジャンプ演技」は動物園の目玉商品になっていきます。

私はテナガザルが大好きでした。サルはどう思っていたかは定かではないですが…記憶している限りでは、このころ入場料は「一人5円」。キャラメルが1箱20円くらいでしたから、子どものおこづかいで行けたレベルだった気がします。ただ、おサルの電車は別料金だったかなぁ…

おサルの電車のエリアは「遊園地」と呼ばれていて、中には素朴なメリーゴーランドがありました。私の初めての乗馬体験はまさにここです。つい「素朴な」と記しましたが、それは現在の感覚。当時は夢の遊具でした。

ただ…この動物園で、哀しい出来事がありました。
1970(昭和45)年)10月、老ライオンが檻から抜け出し、園内のトイレにうずくまっていたところを、駆け付けた猟友会のメンバーによって射殺されるという出来事です。

子どもたちにほえることもなく、穏やかな性格のライオンでした。たぶん、当時は麻酔銃などはなく、やむを得ないことだったと思いますが、子どもたちの哀しみは大きなものでした。当時の秋田魁新報でも「子どもたちのアイドル」が射殺されたことを大きく取り上げていました。

秋田市では翌年、「ライオンをもう一度、子どもたちに見せてあげたい」と、雄と雌2頭の幼いライオンを購入。再び子供たちに笑顔が戻ったといいます。

現在の大森山動物園と比べると、ちっぽけな動物園でした。でも昭和30年世代、私には夢がいっぱい詰まった、まさにディズニーランドのような世界でした。