10年前、秋田魁新報社発行のフリーペーパーmari*mari(マリマリ)の編集長をしていました。「すべての女性を応援します」がキャッチフレーズの『おしゃれ』な同誌。新聞の編集局からここへの異動辞令をもらったときは「大丈夫かな、おしゃれなセンスなんてないけど…」なんて思っていましたが、優秀なスタッフ(すべて女性)に「応援」してもらって仕事を務めることができました。「すべての女性に応援された」3年間でした。
マリマリ編集長だったある日、スタッフから「『シツライ』の企画、やりたいんです」と相談を受けました。「『失礼(しつれい)』企画?」。心の中で勝手に「謝り方? 失敗のエピソード特集?」と理解し、「失礼特集、面白そうだな」と、頓珍漢(とんちんかん)な反応をしてしまった覚えがあります。
スタッフのあきれ顔。このとき、初めて「室礼」という言葉を知りました。マリマリの「室礼」企画は大当たり。多くの読者から反応があり、人気企画として長く続いています。
マリマリの企画を支えていただいたのは、「室礼三千(しつらいさんぜん・東京)」師範の船木正子さん=秋田市住。
実は私、これまで船木さんに直接お会いしたことはなかったんです。すべて優秀なスタッフが写真を撮り、編集していましたから。
初めて「し~なチャン」のゲストとしてお会いした船木さんは、優しく、穏やかな物腰の女性でした。季節や人生の節目に感謝や祈りの気持ちを込めて 室内を飾る「室礼」。その極意をうかがいました。
まず船木さんと「室礼」の出会いは━。
季節の花をつかって空間を飾ることが好きだった船木さん。秋田市で会社員として働く傍ら、「室礼三千」という室礼を教える教室に通います。その教室を通じて「室礼」に込められた先人たちの思いを学び、室礼が単なる装飾ではないことを知った、といいます。
「室礼」とは「物に寄せて思いを陳(の)べる行い」のこと。「日本人は古来から、季節や人生の節目に感謝や祈願、もてなしの心を形にしてきました。正月には鏡餅、桃の節句にはひな人形。そして端午の節句…と続きます。室礼は単なる装飾ではなく、そこに使われている花、野菜や果物には色も含めて意味があるんです」
餅はイネの霊が宿り、食べることで生命力が与えられる。鏡餅は神へのお供え物です。「3種の神器」である鏡を表し、餅を重なるのは福と徳を重ねるという意味合い。かしわ餅を使った「端午の節句」の盛り物は「秋に枯れたカシワの葉が、春になり若芽が育つまでは散らない」という言い伝えから、「親が子を思う気持ちが込められている」といわれます。
船木さんが来ていただいた「4月8日」は、お釈迦様の誕生を祝う仏教行事「花まつり」の日。皆さんもどこかで、「花まつりのお祝い」として、花に包まれた花御堂(はなみどう)にまつられた釈迦像に甜茶(甘茶)をかけるシーンをご覧になったことはないでしょうか。
(し~なチャンyoutubeより)
「花まつり」の室礼として、お釈迦様にまつわる物を集めます。色とりどりの花に包まれた真ん中には「笋(しゅん=小さな若いタケノコ)」。室礼では「笋」を 生まれたばかりの「お釈迦様」に見立てているんだそうです。その周りにはそら豆やウドといった野菜がおかれています。
「そら豆」は、形が仏様の頭部に似ていることから「仏豆(ほとけまめ)」。さやの先が天に向かって伸びる「空豆」と尊ばれるとか。そして独特の香りと食感、ほろ苦さが特徴のウド。漢字では「独活」。お釈迦様が生まれてすぐに発せられたという言葉「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」の「独」に通じて「一人生きていく」という意味があるんです。
この言葉の意味は 「人間ひとりひとりが、宇宙にただ一つしかない命を頂いている尊い存在」とされています。スマップの名曲「世界で一つだけの花」にもある「ナンバーワンよりオンリーワン」かな。作詞した槇原敬之さんが「お釈迦様の言葉を意識した」と言っていたのを、インタビュー記事で読んだことがあります。
船木さんがすてきな言葉で締めくくってくれました。
「年中行事は、各家庭に受け継がれている文化。私たちの今から、次の世代へと絶やすことなくつなげていく大切なものだと思います」。