前回に引き続き、再び秋田市の彌高神社「祭神」の一人、平田篤胤(秋田市生まれ)についてさらにフカボリします。
あらためて申し上げると
彌高神社には2人の「学問の神様」がまつられています。
平田篤胤と、篤胤の年上の門人・佐藤 信淵(のぶひろ)です。
いずれも同じ出羽国、秋田生まれ。羽後町出身の信淵は当時(江戸時代後期)、超一流の農政学者でした。その彼が47歳のとき、生涯を「師」と仰いだのが7歳も年下の篤胤。人間としての魅力、学問力に年の差なんてないんですね。
前回のコラムでは…
全国的には学問の神様は「菅原道真」がメジャーですが、やっぱり秋田の受験生にはココ!!2人の神様「篤胤、信淵」さんの彌高神社へ━前回(第52話)は、受験生の皆さんのに向けて、そんな呼びかけをさせていただきました。
皆さん、結果はどうだったかなぁ。きっと2人の神様の「ダブル」効果で希望成就したことと思います。もちろん、これからでも十分に間に合うはず(3月4日現在)。
…ところで
今回は神様の一人、平田篤胤の魅力をさらにお伝えしましょう。
平田篤胤の肖像(高橋萬年 画)=彌高神社所蔵
篤胤は、仏教や儒教が伝来する以前の日本古来の精神に立ち返ろうという「復古神道(ふっこしんとう。儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想)」を唱えたことで知られます。
ただ、これは篤胤の一面にすぎない、と多くの研究家は口をそろえます。
篤胤は蘭学、医学、天文学など幅広く学問を究めて膨大な著書を残し、その博識で人々を魅了。「レオナルド・ダ・ビンチのような人だった」と専門家たち。私も同感です。
私が注目する、平田篤胤のもう一つの顔、それは「幽冥(ゆうめい)」研究者としての顔です。
上の写真は、平田の本あれこれ(西村所蔵)です。
篤胤が生涯をかけて追及した「幽冥界」とは、いわゆる「 神仏のいる世界。 あの世」のことです。篤胤の幽冥界研究の柱だといわれるのが、「宇宙人・異界」「生まれ変わり」「妖怪」の3テーマ。
この3つを取り上げた代表的な3冊を紹介しましょう。最近、手にしましたが、いやぁ、面白かったです。
『仙境異聞』(宇宙人・異界)
神仙界を訪れ、呪術を身に付けたという寅吉からの聞き書き。宇宙やUFǑなどリアルな描写で、「天狗にさらわれた少年」というタイトルで最近、再出版され、SNSを通じてブレイクしました。ずっと品切れで古本店でも高値になってました(今はすぐに入手できます。電子書籍もおすすめ)
『勝五郎再生記聞』(生まれ変わり)
死の世界から蘇った少年のことを取材。前世でのできごとや亡くなった時のこと、また死後に出会った人々、生まれ変わった経緯などを記述。これが実際の検証でほぼ「事実」であることが浮かび上がるんです。篤胤さんは勝五郎と起居をともにし、10数年の長期取材をしています。
『稲生物怪(いのう もののけ)録』(妖怪)
稲生武太夫がもののけ(妖怪)を退治する絵巻物。原典は篤胤の著作ではないですが、4つの違った伝記を緻密に校訂・編集したものです。未完のまま亡くなった平田篤胤のあとを養子の銕胤が執念の編集作業を続けた。私が尊敬する「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるさんのバイブルでもあるようです。
さて、どうもあまり知られていないようですが…
篤胤の墓所は秋田市手形の高台にあり、1934年に国の史跡に指定されています。
上は、平田篤胤の墓所(同市手形大沢21-1)。秋田大学キャンパスのすぐ裏手にあります。
墓所には「古今五千載之一人」(5千年に一人の偉人)と刻まれた碑があります。今も門人の子孫らが全国からお参りに訪れているんです。
篤胤の辞世の句として伝わる一つは
「思ふこと 一つも神に つとめ終えず 今日やまかるか あたら(惜しくも) この世を」
「やり遂げようとしたことを何一つ終えられないで、今日この世に永遠の別れを告げなければならないのか、本当に残念だ…」…というような意味でしょうか。
私からすれば「普通の人の数十倍、数百倍のことをしたじゃないですか。うらやましい人生じゃないですか」と言いたくなりますが…
機会があれば「秋田のダ・ヴィンチ」、チェックしてみてください。