1964年東京五輪2日目、競技が開始された10月11日のことです。
“トップバッター”として重量挙げバンタム級で一ノ関史郎さん(八郎潟町出身、秋田市住。「第24話」で紹介)が登場、「日本勢メダル第1号」となる銅メダルを獲得します。もう、地元は大変な騒ぎ。
テレビが日本中に普及し始めたころ。私が初めてテレビで目をした五輪競技がウエイトリフティング、つまり「重量挙げ」でした。翌日から学校で「重量挙げ」ごっこがブーム。
日本には秋田県出身の一ノ関さんのほか、三宅義信・義行兄弟、大内 仁(おおうち まさし)さんら、有力なメダル候補が顔をそろえていました。当時、日本オリンピック委員会は国際競技連盟などに働きかけ、東京大会では「重量挙げ」を大会序盤の日程へ置いた、ともいわれています。日本国民に日本選手の「メダル」ラッシュを印象付け、五輪ムードを一気に盛り上げようとしたのかもしれません。
この「盛り上げ作戦」は大成功でした。一ノ関さんの「銅」を皮切りにフェザー級三宅義信さんが「金」、ミドル級大内 仁さんが「銅」…期待通りの活躍が続きます。日本選手すべてが「6位入賞」という輝かしい成績でした。
一ノ関さんから、当時のお話を聞いたとき、何度もコーチの名前が出てきました。気になっていたんです。
日本チームを導いた名コーチ━それが小林努さん(89)=秋田市=。お話を聴くことができました。
(1964年東京五輪日本代表チーム。左から2人目が小林さん、同3人目が一ノ関史郎さん)
「日の丸掲揚を、メダルを、という日本中の期待のもと、一ノ関さんたち選手にはものすごい重圧がかかっていました。でも、全選手が世界の並みいる強豪に挑み、結果を残してくれた。彼を誇りに思います」と小林さん。
小林さんは福島県出身。1958(昭和33)年、3年後に開催予定だった秋田国体(秋田まごころ国体)の選手強化・競技普及のために本県に県職員として赴任。同国体では一般監督を務めました。1963(昭和38)年、日本ウェイトリフティング協会選手強化部強化コーチを委嘱され、オリンピック候補選手の育成に関わります。そして1964(昭和39)年の東京五輪では、日本代表選手団コーチに。1993年、秋田県庁を定年退職し、現在は秋田市で行政書士小林努事務所を経営しています。
バーベルを両手で頭上に持ち挙げて、その重量を競う「重量挙げ」競技。古代オリンピックの時代から、多くの「力持ち」たちが競ってきました。五輪大会では第1回(1896年)アテネ大会から正式種目になっています。
まさに人間の原点でもある「力比べ」。シンプルなようでいて、実は身体のすべてを使うキツい、ハードな競技。小林さんはそもそも、なぜ「重量挙げ」を始めたんでしょうか?
「高校時代、定時制に通いながら、昼は炭鉱で働いていたんです。毎年恒例の炭鉱の運動会でトロッコの車輪を持ち上げる『力比べ』種目があったんですが、いつも優勝でした。得意だったんだね。それを見ていた先輩から『お前、重量挙げやらないか』って言われたのがきっかけ。その後、法政大に誘われ、重量挙げ部の主将も任されることになった」
大学時代、全日本大学対抗選手権大会に出場して団体優勝に貢献。その競技力、指導力が認められて秋田へ。以来、小林さんは長年にわたり、秋田県ウェイトリフティング協会役員として、本県のレベルアップに力を尽くしてきました。
━1964東京大会。一ノ関さんは「金」の有力候補でもあったと聞きましたが…
「その時点で1位はバンタム級絶対王者のワホーニン(金メダル・ソ連)。2位以下の記録とかなり差があったんです。一ノ関さんの3位は確定しており、あともう少し記録を積み上げて銀を狙う選択肢はあった。でも彼はワホーニンに打ち勝つべく、練習でも上げたことのない重量に挑戦した。結局上げることができず3位になったが、彼の精神力、闘う気持ちの強さは金メダルです。素晴らしい選手だと思います」
その後、選手、指導者として競技の一線からはひとまず退いた小林さんでしたが、次の輝くステップが待っていました。それは東京五輪から約40年たってからのこと。2012年(平成24)年、小林さんは80歳で現役復帰したんです。
「大学時代の後輩が『全日本マスターズ選手権』で活躍しているのを知ったのがきっかけでした。初めて参加した2012年の大会で優勝してしまった…そして翌年は『世界マスターズ選手権』。以後、挑戦を続けています」
小林さんは2012年から全日本では8年連続優勝。世界を舞台に2013年3位、14年2位と続き、16年日本で開催された大会ではなんと1位、ついに「金」メダルです。
小林さんのモットーは「継続は力なり」。小林さんがこの言葉を口にすると実に重みがあります…
今でも週2回、秋田県スポーツ科学センターでトレーニングを続けています。目標は「90歳」でのマスターズ世界大会出場。来年2022年(当初2021年開催が延期)には第10回記念大会が予定されており、その舞台は日本・京都です。
「健康維持という目的で続けてもなかなか長続きしない。やはり大会、という目標があると気持ちに張りがでてきます。わくわくしますよ」
「90歳」の現役アスリート、すごいなぁ。ぜひとも「金」を狙ってください!!