2度目の東京五輪。日本勢のメダルラッシュが続いています。
県勢ではバドミントン女子ダブルスのナガマツペア(北都銀行)が準々決勝に進出。惜敗でしたが、最後まで相手に食い下がる素晴らしい粘りを発揮し、私たちに元気をくれました。
五輪が始まる前、秋田のバドミントンの歴史、アスリートの戦績が知りたくて調べていました。資料、ネットなどで検索するうちに、秋田市新屋地区の「新屋振興会」発行「あらや衆報」で、地元出身のスポーツ選手たちを紹介する「新屋のアスリートたち」という連載があるのを見つけました。
そのタイトルは「ユーバー杯(女子バドミントン国別対抗戦)で優勝・横山満子」(平成29年6月1日、あらや衆報)。「皆さんはバドミントンがオリンピック種目になる以前、新屋に世界一に輝いた選手がいたことをご存知でしたか?」という”問い掛け”で始まります。
紹介されていたのは、1964(昭和39)年東京大会の2年後にバドミントン女子のユーバー杯で初めて世界一に輝いた日本代表のエース樋渡(ひわたり)満子さん(79)=旧姓横山、秋田市。
樋渡さんは敬愛学園(現国学館)高校でバドミントンを始め、3年生のときに全国総体シングルス準優勝。卒業後は帝石(秋田帝国石油・秋田市)で競技を続け、全日本総合選手権などの国内タイトルを積み重ねてきました。
24歳のときに出場した66年「第4回ユーバー杯」はシングルスで全勝、初出場だった日本を優勝に導く力になります。当時、ライバルは同大会3連覇中のアメリカ。「新屋のアスリートたち」の連載には、「横山は第2単で出場、勝利への執念でシャトルを狙い、最後はスマッシュをバックラインに決めて勝利した」と記されています。
この連載の筆者は「のばこ山きのこ」さん。いったい何者なのか、気になっていました。
謎のライター「のばこ山」さんの正体を知ったのは秋田魁新報の記事からでした。見出しは「スポーツ界で活躍、新屋出身者知って 住民組織、会報に連載 競技人生や裏話詳しく(2021年5月8日付)」。記事では「取材、執筆を担当する新屋振興会会長」とあります。
えっ、そうだったのか、会長さん自らこの連載を書いていたんですね。
「ペンネームで書いていたので、私が書いている、ということを知らない住民の方が結構いました。『のばこ山』というのは、昔、日新小学校の裏手にあった小山の名前です。よく遊んだなぁ、キノコもたくさん採った。それで『のばこ山きのこ』」
そう語ってくれたのは新屋振興会会長、赤沼侃(ただし)さん(75)=アキタシステムマネジメントシステム社長、秋田市=。
「のばこ山きのこ」のペンネーム。なんだか、地域愛というか、昭和の空気を感じるというか。ただ、そもそもなぜペンネーム? 実名、つまり会長の肩書きで書いた方がインパクトがありそうですが…
「『あらや衆報』は本来、新屋振興会の活動報告書です。住民の皆さんには硬すぎたのか、読んでくれる人が少なかった。ここに面白い話題を載せることで、よりたくさんの人に読んでもらおうと始めました。ただ、衆報には会長の名前で『年頭あいさつ』とか『本年度抱負』など実名で寄稿することも多いので、連載はペンネームにしたんです」
「新屋のアスリートたち」は2016年1月にスタート、これまでに計11回掲載。樋渡さんら県内だけでなく全国、世界で活躍したスポーツ選手やチームを取り上げてきました。
1回目は、昭和初期に活躍した大相撲元関脇の新海幸蔵さん。足技が得意で「タコ足の新海」と恐れられ、「昭和の大横綱」と言われた双葉山を2度も破った関取です。
ほかに「国体陸上競技男子400m優勝者・高橋慶治」「秋田工高ラグビー指導者として全国優勝20回・佐藤忠男」「全県少年野球で高等科も尋常科も初制覇した日新チーム」など…さまざまな競技で活躍した新屋出身者が裏話を交えて紹介されています。
冒頭で紹介した「新屋からでた世界一のバドミントン選手・横山満子」さんも東京五輪のこの年に合わせて、実にタイムリーです。
「私は高校のときバドミントン部。(横山さんは)そのころすでに帝石のエースとして有名な選手でした。同じ新屋衆として、またバドミントンをやっている者としてあいさつしなければ、と思いながらも、あまりにも偉大な人で、とても声を掛けられなかった。連載が掲載された衆報を届けたとき、ようやく長い時を超えて、お話しすることができた」
新屋で生まれ育った赤沼さんは、親戚や知り合いの広いネットワークを生かして交渉から取材、資料や写真の収集、原稿の執筆まですべてを手掛けています。「子どもたちの”新屋愛”さらに郷土愛を育み、心豊かな人に育てたいという思いで書いています。まだまだ候補、取材したい人材がいます。できるだけ続けたい」と赤沼さん。
どんどん活気づいている新屋地区。かつて秋田市茨島にあった「工芸学校」を新屋に誘致。工芸学校は「秋田公立美術大学」となり、大学院博士課程も設定されました。
「新屋は幼稚園から大学院博士課程まである『芸術文化の薫るまち』になりました。そのほかに、一人前になるまで修行できる『新屋ガラス工房』も誕生した。学生たち、若い人たちの笑顔が街にあふれているのが何よりうれしい」(赤沼さん)
人口減少が続き、ちょっと元気を失っているような秋田。”新屋衆”の元気が再生につながるワクチン、いや”カンフル剤”になってくれればいいですね。